文化

911から20年、あの日海外移住1か月前の僕が感じた衝撃

最近アフガニスタンのニュースが取り上げられていて、空港でゲートに群がる国外脱出しようとする人やタリバンが女性の権利を認めない、とか、ショッキングな映像のニュースが報道されていますね。

911のテロから20年、アメリカは何をしたのか??

みたいなテーマで特集も組まれたりしています。

実は私がセブのカオハガン島で働きだしたのが、この911の後1か月の2001年10月10日からでした。
セブ移住を1か月の私にはこの911は、とてもインパクトがある事件で当時「平和とは?」とか「宗教とは?」とか色々考えるきっかけにもなりました。

今日は当時を思い出しながら、
*海外移住が決まった嬉しさから不安に から
911のニュースをまさにライブで実ながら感じたことについてを

*ガラガラの飛行機に乗りながら感じた事と到着した翌日のギャップ から
テロから1か月後にセブに行く飛行機に乗りながら感じた事、セブ移住初めての夜に感じた不安と翌日に感じたヤップについてを

*厳しいホテル経営を目の当たりにしても元気を貰えた から
当時のセブのホテルが受けた大打撃と対照的に生き抜く力を見せてくれたフィリピン人についてを

思い出しながら、原点回帰、初心を思い出して同じような苦難の多い今を乗り切る方法に結び付けていきたいと思います。

海外移住が決まった嬉しさから不安に

私のセブ島への転職は2000年10月にカオハガン島へ行ってオーナーへの直談判から始まりました。

全く英語を話せないことをクリアしようと駅前留学を始めたり、ホームページを使った集客提案書をつくったり、何より体力をつける為2001年6月にウルトラ100㎞マラソンの完走を目指したりと、

私の外見がもし竹内涼真なら絶対にドラマになっている!

って努力をしてました(笑)

なので7月に神戸から自費で鎌倉まで押しかけ、オーナーを口説き落とした時は本当にうれしくて、自信にもなって、勝手に人生バラ色的に浮かれていました。

そんな時に911は起きたのでした。
ライブで時間を追うごとに被害が拡大していく映像から目を離せませんでした。

母が「こんな時に海外に行って働けるの??」って質問に全く返す言葉を見つけることが出来なかったのを今でも思い出します。

「最悪、戦争になってしまう」そう直感で思いました。

実際にテロとの戦いという名目でアメリカは20年間泥沼の戦争に巻き込まれていきましたから、、、

ガラガラの飛行機に乗りながら感じた事と到着した翌日のギャップ

911の事件のあと、あっという間にセブに行く日がやってきました。

でもその間に、フィリピンは911の主犯アルカイダと関係するイスラムゲリラが住む地域がミンダナオ島の一部にある、という理由で「海外危険情報」の危険ランクが上がってしまいました。
そして、旅行会社が海外旅行の主軸商品であるパッケージツアー(航空券+ホテルのセット販売)をストップしたのです。

そんなニュースも流れていて、セブへ行くには「自己責任です!!」みたいに言われて、、、

実際に飛行機は200人乗りで50人ぐらいだったと思います。
ちゃんと仕事ある?いきなり人件費削減でクビってない??
初めての海外就労に不安になりました。

そう思いながらセブに到着して、小さなバンカーボートに乗って島に向かっていくと、いきなりスコールになってずぶ濡れになるというバッドラックに襲われたのです。

島に到着して、掘っ立て小屋のようなこれから住む家「バハイクボ」スタイルの家で寝ていると大きなカミナリと横殴りの雨が続いていて

「しまった!やってもた!!」と真剣に思ったりしてたのですが、疲れていてあっという間に寝てしまいました。

しかし、そんな大荒れな天気でしたが、翌朝目が覚めるとびっくりするぐらい穏やかな夏空が広がっていました。
そして何か目の前に広がる真っ青な穏やかの海をみていると、心が癒され「何とかなりそう」みたいな気持ちになったのです。

これは最近感銘を受けたブッダに言わせると、まさに

諸行無常(世のすべてのものは、移り変わり、また生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないものはないということ)で、いいこともそうだけど、悪いことも続かないよと思ったのです。

厳しいホテル経営を目の当たりにしても元気を貰えた

ホテルのオーナーも仙人みたいに浮世離れしていて、セブについた私に「まぁ2-3週間はフィリピンに慣れるため、仕事はいいからのんびり過ごしてください」といわれて時間を持て余していました。

そこでセブの高級ホテルも見ておこうと行ってみると、やっぱりガラガラです。多くの従業員は休職(給与なし)を命じられていたそうです。

でも、たくましいフィリピン人は、道でモノ売りをして小銭を稼いだり、海で魚を取って自給自足で出費を抑えたりで、力強く生きていました。

仕事が減って収入も減るけど、子供と過ごす時間も増えてそれはそれでハッピーだよ」みたいなことも言われました。

これはあれから20年経って、コロナで大打撃を再び受けている今のセブでも同じことが起きています。

元同僚の女性の彼氏がセブ島の英語教師なのに、授業が減っても仕事の合間に自宅前で魚を仕入れて売り始めて、コロナ前より忙しくなったって話に笑いながらも

永遠に通じる力強さを感じます

生きるのは大変だ、とか、人生は苦しいものだ、という事実はあっても、
やれなくて苦しいばかりではなく、大変だからこそ乗り越える充実感を味わえるのだと思います。

まだ先がクリアに見通せないコロナ禍で向かえた911の今日、そんな昔の日々を思い出しています。

よければNoteにもフィリピンへいく時のエピソードを書いています。お読みください

竹原浩二

竹原浩二

38歳の時サラリーマンを辞めセブ島でボランティアと旅行会社勤務経験🌈 現在フィリピン観光省大阪勤務🇵🇭経験を生かし留学案内を大学や旅行会社で講演👨🏻‍💻起業しました。 自分の息子も不登校❗️フィリピンで子供を元気にする留学ビジネス企画中 ✨経験を音声やブログ毎日配信中

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