日記

もし海外で暮らすなら大切にしたい3つのこと

たけ@不登校中学生父親✖️フィリピン留学エージェントです。

コロナで色んなことが自由に振る舞えずストレスを感じる毎日ですね。
早く綺麗なビーチでのんびりビールでも飲みながらのんびり過ごしたいです、、、

こんな暮らしを味わえるのは南国ならではですね。最近はノマドライフがコロナで進んだと思います。
思い切って海外に暮らしながら、ネットを使って今まで通りの仕事を続けるなんてことも実際に可能になってきています。

セブで暮らした時は給料も安かったですが(苦笑)物価も安く、マッサージも200円で30分と激安だったので楽しかった思い出ばかり思い出されます。

海外で暮らすとなると日本ではあまり気にしないでいいようなことが大切になってきます。
セブで10年暮らした時に大切だと感じた事を3つ、

*住むところ治安は絶対
*コミュニケーション 英語か現地語を勉強する
*日本人との付き合い

それに心から思った
*住めば都とはよく言ったセリフ

今回は書いてみます。

住むところ治安は絶対

海外で住むときに一番気をつけないといけないのが、住むところですね。ここで値段も安心ども全然違います。

安いところだと月5000円で探せます。一方でサブディビジョンと呼ばれる住宅街一角が塀で囲われて入り口には24時間ガードマンが入っくるゲストをチェックする高級住宅街です。家賃は月7万円位だせば一戸建て4LDKぐらい十分探せます。

予算に合わせて場所選びをするわけですが、居間フィリピンはバブル期で土地やマンションの値段はかなり上がっています。基本個人の外国人は土地を買えないのですが、合弁企業で土地を買ったり個人であればコンドミニアムは購入できるので買占めされています。
特に韓国や中国の方が投資目的で購入しているので、賃貸でも借りるオーナーが中国人や韓国人というケースもなってきています。

話がずれましたが、住むところ=治安でやっぱり命あってのものだねであり、日本は家賃の高い所は便利ですが、フィリピンは治安・安全と比例しています。

出来る限り出せるお金を家賃に割いていく方が、私はお勧めです。

コミュニケーション 英語か現地語を勉強する

あと、もちろん海外に住むので、基本英語が話すことが必要になります。
別に話せるようになってから行く必要はなくて、現地滞在中に学校で勉強したらいいと思います。

もしくは、いきなり住むのは大変だから語学学校などに留学しながら現地の様子を見ることを移住前にトライするのもいいかもしれないですね。
違うな!と思っても少なくとも英語力は上って帰れますので、無駄にはなりません。

あと本当にフィリピンと相性がいいのなら、現地語を誰かに教えてもらうのもいいかと思います。

現地語を話せると急に現地のフィリピン人と仲良くなれて文化を理解できます。

あと、ぼったくりもされなくなります。私もいつもタクシーに乗る時は英語でなく現地語で話して「俺は日本人だけど現地採用で給料はお前と同じぐらいだから、ぼったくりは金持ちの日本人からにしてくれ!」って言うと「日本人でも大変なやつはいるんだな!みんな大豪邸に住んでると思ってたよ。頑張れよ!」って慰められたりしました。

日本人との付き合い

留学先を選ぶときよく「日本人がいないところ」を選択基準に置く人がいます。

これは、ある意味正解で日本人同士で日本語でばかり話していたら語学の上達はのんびりになってしまいます。

でも、留学が長期になったり、海外移住であれば成功のカギは「日本人とのつきあい」にあると思います。

なぜなら、やっぱり日本人の気持ちや悩みは日本人しかわからないって部分が大きいからです。

私もフィリピン人に優しくされる事が多かったですが、本当の悩みは当時セブの日本人会で同じくらいの年齢で同じようにフィリピン人の奥さんをもらった日本人男性とよく話をしていました。

このガス抜きが出来た事がフィリピンで長く住むことが出来た要因だと思います。

でも脅すわけではないのですが、日本人をターゲットにに海外で住む日本人詐欺師には注意してください。
この「やっぱり日本人じゃないと」という気持ちを理利用しています。

友情とお金は区別する方がいいと思います。

住めば都とはよく言ったセリフ

笑い話でフィリピンに海外赴任が決まった時の奥さんはきっと2回泣くといわれています・

最初は「私、海外赴任はアメリカヨーロッパがいい!綺麗なカフェやショッピングモールで楽しみながら過ごしたいの。フィリピンは田舎で何もないとこでしょ?」

そして海外赴任が終わり日本へ帰るときに

「えー日本に帰るとメイドもいなくて食事も掃除も私がしないといけないの?青い海に美味しい果物もないじゃない。もう少し延長出来ないの?」

住めば都とはよく言ったものです。

竹原浩二

38歳の時サラリーマンを辞めセブ島でボランティアと旅行会社勤務経験🌈 現在、フィリピン観光省大阪での勤務🇵🇭経験を生かして、留学案内を大学や旅行会社で講演もしたりします👨🏻‍💻 自分の息子は不登校でしたが、今はプロゲーマを目指してます❗️ 私はフィリピンで子供を元気にする留学ビジネスをゆっくりやり始めてました

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