日記

ラプラプという裸の英雄

今日は毎年4月末に住んでいたセブのラプラプ市で行われるお祭りを懐かしんで記事を書いてみます。

毎年4月27日はマクタンの酋長さんのラプラプがマゼランを倒して勝利した日で、この日はシャングリラホテルの近くにあるマクタンシュラインという広場や近くのサントニーニョパリッシュチャーチ当たりは出店や仮説遊園地でにぎわいます。

今年はコロナも収まったのできっとにぎわったことだと思います。

今日はそのお祭りの主人公である、マクタン島の酋長ラプラプと世界の海軍を率いたマゼランの戦いと2人の功績について

ラプラプとマゼランの戦い
マゼランの功績
マクタンシュラインの面白い所

とみていきながら

フィリピン人は本当に柔軟だなぁ

ということを紹介したいと思います。

ラプラプとマゼランの戦い

実は去年は戦いから500年、キリスト教伝来500年と本来なら凄いイベントになる予定だったのに残念です。

マゼランは世界一周の過程でセブ島に到着して、かなり食料も水の不足していたので、早く支配下に治めたかったので、大砲などでその力を示しながらも一方でキリスト教の布教をして一つの信念で繋がるなど、様々な方法で当時は島々が独立していたようなフィリピンをセブのフマボン王とファナ女王をキリスト教に改宗させたところから始まりました。

洗礼式のために立てた十字架マゼランクロスとファナ女王に捧げられたキリストが幼少のころの像サントニーニョ像はセブ市ダウンタウンに飾られて観光名所になっています。

フマボン王の威光により、マゼラン一行は周辺の諸島の首長たちから食料を補給し、彼らに洗礼を施すことでどんどん支配力を拡げていきました。

しかしその洗礼を断ったのが、当時のマクタン島の酋長ラプラプだったのです。

ラプラプは遠浅のマクタン島の海の地形を利用して大きな大砲を持つ軍艦が射程外で停泊させる事に成功しました。

鉄の鎧や兜で防御力の高い服装もウニがたくさん居る浅瀬を歩いて陸地に近づくにはあまりにも重たくて兵士の体力を奪っていきます。

かなり疲れて陸地に近づいたところを岩陰に隠れていた竹やりやナタを武器にした身軽なフィリピン人兵士が不意打ちをかけて混乱させ、装備で体を守れない足を攻撃して動けなくしていき、戦力では圧倒的な差があるラプラプの兵隊が圧勝したのです。

マゼランはこの時死んで、マゼランの跡を継いだフアン・セバスティアン・エルカーノは急いでフィリピン諸島を脱出しました。
その後エルカーノらは1522年9月にスペインに帰国し、史上初の世界一周航海を成し遂げたのです。

マゼランは志半ばでフィリピンで亡くなっているのです。

マゼランの功績

一方でマゼランの功績はフィリピン国民が90%以上信じているカトリックを布教したことです。

カトリックという宗教を通じて当時は、島々がバラバラで統治して国というよりも島が集まっているだけのところから「フィリピン」という国の概念になったといわれているのです。

そしてキリスト教は人々の暮らしに根付いていてます。

元々家族の絆を大切にする国民性に「家族の愛」を説くキリスト教がマッチしたうえに、辛く貧しい人にとって「神様がいつも見守っていてくれている」という気持ちが苦境に耐える動機のひとつになってもます。

フィリピン人はよく「God has a plan」とよく言うから神様は今のままではなく報われるように考えてくれているよ!と信じていると感じます。

マクタンシュラインの面白い所

このマゼランとラプラプが戦った現場が今、マクタン・シュラインという広場として観光スポットであり市民の憩いの場になっています。

マゼランが攻めてきた海岸ににらみを利かす様にラプラプ像が飾られていています。

戦いの様子の絵画も飾られていて、当時の様子が分かって興味深いですね。

更に面白いのが、マゼランの記念碑が同じ敷地内に建てられています。

戦った敵味方が同じ公園にお互いの功績をたたえるように記念碑が立てられているのです。

これは珍しいですね。
織田信長と明智光秀が並んで銅像を作っているようなもんです。

これはフィリピン人が寛容で柔軟であることの例として使われる事もあります

最後に昨年12月セブに大きな台風が直撃して大変な被害が出てしまいました。
実はマゼラン記念碑の上が引き飛ばされたのです。
しかしラプラプ像は無事でした。

マゼランはここでも負けてしまい無念だったと思います。

マゼランクロス

フィリピンの昔の地図

2019年に訪れた時

当時人生について考え悩む息子(笑)

美しい海、今はもっときれいになっているとか

竹原浩二

38歳の時サラリーマンを辞めセブ島でボランティアと旅行会社勤務経験🌈 現在フィリピン観光省大阪勤務🇵🇭経験を生かし留学案内を大学や旅行会社で講演もしたりします👨🏻‍💻 自分の息子は不登校でしたが今はプロゲーマを目指してます❗️ 私はフィリピンで子供を元気にする留学ビジネスをゆっくりやり始めてました

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