4月が始まって1週間が経ってしまいました。
先週は熱を出したり、イベントで忙しかったりで心に余裕がなかった気がします。
そんな時にいつも感じる
「もっと心に余裕があったら思いやりの気持ちを持てるのに」
てこと
Netflixで最近心をすごく動かされたドラマがいくつかありました。
今日は「思いやり」に関して、最近ハマったドラマを基軸に書いてみたいと思います。
「春になったら」で感じた親子の関わり合い
このドラマは、木梨憲武さんが演じる62歳の父親と全く売れない子持ちバツイチのお笑い芸人との初婚の決心をした娘の物語で、設定が全く私と同じ年齢で、奈緒さんが娘とダブルところもあって没入してしまいました。
考えさせられたのは「幸せの形」と「家族の思いやり」です。
死と直面しないと、色々と惑わされて本当の「幸せの形」が見えないのかな?
ひょっとしたら、貧しくて平均年齢も日本よりずっと短く、きっと健康年齢の間に死ぬ人が多いかもしれないフィリピン人の方が実践できている人が多そうな気がしました
家族の絆を何よりも大切に考えて、家で家族の死を迎えることも日本より多く死が身近なフィリピンは、身近ゆえに生きている間の大切さを感じるのかもしれませんね。
「不適切にもほどがある」から思う不適切ってなに?
このドラマも本当に面白いドラマでした。
阿部サダヲが演じるハチャメチャな主人公「小川一郎」が、昭和のコンプラ問題山盛りの価値観で、コンプラ超遵守の息苦しい現代を笑い飛ばす様な物語です。
フィリピンは昭和文化派みたいで、ある意味このドラマを身近に感じさせます。
実は実際に私の知人がフィリピン人に感情を逆撫された話がありました。
それは、舞台女優を務める知人が夫婦で「子供は持たず仕事に夢を追い続ける決断」をされていました。
しかしフィリピンでボランティア活動をする中でフィリピン人のおばちゃんに
「独身?結婚している?」
から始まり
「へー結婚してるんだ!子供は何人産んだ?」
「え、子供作らないの?なんで?あ、今話題の家族計画か?本当に1人も作らない?」
とマシンガントークをかまされてしまいました。
テレビドラマ並みの不適切発言で、冷や汗ものなんです。
でもいつも感じるのが、昭和スタイルと現代のスタイルには、どちらにも良いところ悪いところがあって、0,100みたいに白黒のどちらかに決める必要はないのでは?って思います。
寛容性ってことでは、フィリピンの方が「皆んなこうあるべき」というより「私はこう思う」という感じが強いと感じました。違うことを認められないのが不適切じゃないでしょか?
娘を思う気持ちを「思いやり」というのか?
ハマった両方のドラマには多くの共通点がありました。
1つ目は、主人公の男性が同年代の男性設定になって価値観を共感できて自分ごとに感じること
今よりもずっと人と人との関係が濃くて、近いことで孤独感を感じにくい安心感みたいな空気もそうですね。
合理性や利便性よりも大切なことがあるんだよと伝えたいと感じました。
2つ目が、娘との関わりの中で関係が深まっていくところ
お年頃で思春期真っ盛りの娘とは、かなり距離感を感じる日々を過ごしています。
それも大人になっていく過程で仕方がないことと、周りも自分もわかっていながらやっぱり寂しいものです。
小学校低学年までは「パパが一番好き」って無邪気にまとわりついてくれたのに、、、、
18歳の誕生日が近づくにつれて、トゲトゲしさは無くなってきたもののまだ難しい時間も多いのが現状です。
ドラマに対しては、喧嘩などもありながらも父と娘の距離が近づき、お互いを思いやる姿になっていくことに思いが重なっていきました。
実は5月に家族全員で娘の18歳の誕生日を盛大にお祝いするためセブに行く予定です
これはフィリピンの習慣で、もう結婚できる年に成長しましたと世間にアピールする「デビュー」と呼ばれる習慣です。ブラジルは15歳のお誕生日らしいですね。
娘を嫁にやる日を望みつつ、実際に来たら寂しいと思います。
「思いやり」とは字の如く相手のことを「思い」良かれと思うことを行うこと
それには、相手を尊敬し、愛し、大切に思う気持ちが必要だとはわかっています。
他人にとって身勝手でも「大切な人」にはしっかり届けばいいのかなぁなんて不適切に感じています。
38歳の時サラリーマンを辞めセブ島でボランティアと旅行会社勤務経験🌈
現在、フィリピン観光省大阪での勤務🇵🇭経験を生かして、留学案内を大学や旅行会社で講演もしたりします👨🏻💻
自分の息子は不登校でしたが、今はプロゲーマを目指してます❗️
私はフィリピンで子供を元気にする留学ビジネスをゆっくりやり始めてました
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