オリンピック、なんやかんや言いながらも見てしまいますね。
先日の重量挙げでフィリピン人で初めて金メダルを取ったヒディリン・ディアスさんの勝利の瞬間はフィリピン中歓喜の声が響き渡ったようでした。
政府や有名企業から7,200万円の賞金と3,000万円の家がプレゼントされるそうです。
まぁオリンピックでの金メダル第一号なのでよほどみんな嬉しかったのでしょうね。
又、スケートボードで7位に入賞したマルジエリーン・ディダル選手も失敗しても満面の笑みで競技を終えました。
あまりに笑顔が素敵だったので日本のニュースに取り上げられました。
2人に共通しているのは家庭が非常に貧しいということです。
ディリン・ディアスさんはお父さんは農家や漁師をしたり、乗り合い3輪オートバイの運転手をしていました。仕事でいえば、かなり底辺の人がつく仕事です。
お父さんが大工でお母さんは露天商。4人のきょうだいを持つディダル選手も初めて大会で入賞したとき「賞金でお米が買える」と思ったそうです。
スラムの暮らしってどれだけ貧しい?
フィリピンで貧困層の暮らしってどんなのか?
想像できますか?
結構、想像以上にすごい生活をしている人が多いです。
例えば嫁のお兄さんもかなり貧しかったです。結婚する前にセブでお兄さんの家に行ったら、電気が無くて料理はマキを燃やして料理をしていました。
家はまさに掘っ立て小屋の様で、壁はべニア板にトタン屋根でした。
まぁまぁビビりました。ここに夫婦と2人の子供4人がくらしているんだと思うと気の毒な気がしましたが、家族全員笑顔で僕を迎え入れてくれて、食事も振る舞ってくれたのです。家は川の近くのどう見ても住宅地ではありません。
実際、スラムで暮らす人はこんな感じで過ごしています。極貧の人は本当にフィリピンのリッチな人の墓地に住み着き、お墓の手入れをする約束で赦しをもらいそこに小屋を建てて暮らす人もいます。
住むことを許す方もすごいなと思います。
モチロン電気はないので、勝手に電柱に分岐版を取り付け電気を引く「盗電」で暮らす人も多いです。
なので、フィリピンのスラムでは定期的に盗電の際に感電死する人がいてニュースになります。
又、素人は配線するのでショートしてスラムが火事になることも多いです。
貧しいから電気を盗むのに、漏電で火事になって水道もない所だから、結局全焼して無一文に戻ります。
日本では考えられないぐらい貧しい暮らしを、普通にみることがまだあります。
厳しい暮らしでもなぜか笑顔で暮らせる
そんなスラムにこそ笑顔が溢れていることに皆さん驚かれます。
そして、そんな暮らしをしているおばちゃんに
あなたは幸せですか?
と聞くと笑顔で、
はい、幸せです
と答える人が多いのです。
なぜ、生活は苦しいのに幸せと感じますか?
と聞くと
確かにお金はないけど、家族が力を合わせて暮らしているから問題ないです。きっと神様が見守ってくれます
と答える人が多いですね。
優等生の答えを見栄を張って言っている感はなくて、本当にそう思っています。
そう思うことで苦しさを乗り越えている様にも思えます。
そして苦しい家庭が多いからこそ、助け合う気持ちが生まれて隣近所の人が色々と協力しあいます。
近所の子供が遊びにきていると、ご飯を作ってたべさせてくれたり、年上のお兄さん、お姉さんが面倒をみてくれたりと、コミュニティに中で育っていきます。
自然に年上の人には礼儀を尽くさないといけないと教育されたりします。
僕が貧しい地域の子供と話しても、乱暴な言葉遣いはしない子供が多いのに驚きます。
今を生きようとするから元気をもらえる
もう一つ貧しくても幸せと感じて暮らすコツを彼らに教えてもらいました。
それは、苦しい過去や不安な未来に目を向けず「今」を楽しく生きようとする姿勢です。
フィリピン人って喧嘩をした翌日に何事もなかったかのように普通に話しかけてくれる人が多いです。
終わった事は仕方がない、というように考えています。
又、このままでは大変だと将来の不安を気にしません。
私も嫁に「困った時に困った顔をしなさい。まだ何も起きていないじゃない」と言われます。
そんな流ちょうなという場合もあるのですが、一方で真理をついていて、状況が変わることもあるから不要な心配をする必要はないのです。
「今日が楽しくないのに、なんで明日が楽しいの?」
と聞かれて今にフォーカスする大切さを定期的に教えてもいらえます。
やっぱりフィリピンは奥が深いと思う今日この頃です。
38歳の時サラリーマンを辞めセブ島でボランティアと旅行会社勤務経験🌈
現在、フィリピン観光省大阪での勤務🇵🇭経験を生かして、留学案内を大学や旅行会社で講演もしたりします👨🏻💻
自分の息子は不登校でしたが、今はプロゲーマを目指してます❗️
私はフィリピンで子供を元気にする留学ビジネスをゆっくりやり始めてました
コメント