旅行

クラークという素敵な街に来ています

半年ぶりのフィリピン添乗の準備でバタバタしていてブログ更新が頭から抜け落ちてました。

そうして仕事を一生懸命詰めた?結果、無事に今週はフィリピンのクラークというところに旅行会社の各支店長クラスというお偉いさんの添乗として行ってきました

クラークは日本人にはまだまだ知られていないけどとても面白い場所なのでご紹介したいと思います。

今日は

クラークは美しい空港が窓口の経済特区
実は悲しい歴史が多い苦難の町だった
偏見で見ないでほしいアンヘレスという街で働く女性

という内容で書いてみます。ちょっとシリアスな内容も含まれますが、これもフィリピンを語るのには大切な事なので是非お読みください

クラークは美しい空港が窓口の経済特区

クラークはマニラから高速道路で約2時間移動したところにある、観光や投資などが盛んな地域でパンパンガ州にあります。

パンパンガは言えばフィリピン版「食い倒れの街 大阪みたいに食べ物が美味しいことでも有名です。

元々は米軍基地があって1991年のピナトゥボ火山の噴火で街が大きなダメージを受けた同じタイミングで議会にて決まっていた基地撤退が行われたことで知られています。

最近はクラーク国際空港がリニュアルオープンして、UNESCOのthe World Architecture and Design Award世界建築ベルサイユ賞を受賞して世界の最も美しい空港の一つに選ばれました。

ちょうど来る時は同じくリニュアルオープンしたばかりの関西空港から出国したのですが、関空と同じようにクラーク空港も無人チェックインエリアやレストラン、免税店ショップなど本当に綺麗で快適そうでした。

デザインもセブの空港と似ていてア木製ーチ型の作りが人工的ではない自然の温かさを感じて落ち着きます。

ここは経済特区もあって最近ではSwissôtel やHilton、MARRIOTTなどインターナショナルのホテルに加えてRoyce Hotelや台湾のMidori Clark Hotelなどカジノ併設のホテルも増えて存在感を増してきました。

観光に加えてインターナショナルクラスのゴルフ場も多くてリゾート目的地として急激に知名度が上がって来ています。

実は悲しい歴史が多い苦難の町だった

そんな発展の凄まじいクラークも歴史を紐解けば苦難を乗り越えてきた街だったとわかります。

第二次世界大戦まで遡れば、日本軍によるフィリピン進攻作戦においてバターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・アメリカ領フィリピン軍の捕虜が、捕虜収容所に移動する際に多数死亡したバターン死の行進が有名です。

全長は120kmで、もともとはその半分弱は鉄道とトラックで運ばれる予定であったが計画を立てた当初の捕虜の予想数と、実際の捕虜の数に大きく違いがあり、結局約83kmの距離を3日間、1日平均14kmを難民と捕虜と監視の日本兵が歩いたのですが、灼熱の中アメリカ兵の半分が戦傷やマラリアのために、医師の手当てを要する体調だったにも関わらず移動を強行して約1万人がこのことで亡くなりました

また、ここクラークにあるマバラカット空港から最初の零戦が飛び立ったのです。(諸説あってセブの空港からが数日早かったとも言われているのですが正式な記録確認はここマバラカットが一番古いそうです)

博物館に時勢の句が残されていて、若くして家族を残して国のために命を捨てなければ行けなかった若い人たちの無念を感じました。

戦争だけでなく冒頭に紹介した1992年にはピナトゥボ火山の大噴火があり、20世紀最大だと言われた噴火は山の標高が1745mから、噴火後に1486mまで低くなるほどでした。

1000名近い死者を出し、総計で364ものコミュニティの2100万人が、噴火の影響で生活基盤と家屋を損傷・破壊されたとされています。

そんな歴史が博物館に鮮明に残されていてとても勉強になりました。

偏見で見ないでほしいアンヘレスという街で働く女性

このクラークを語る場合に、迷いながらも触れないといけないこともあります。

それはクラークの隣にあるアンヘレスという大歓楽街のことです。日本で言えば新宿歌舞伎町や札幌のススキノといった感じです。

街の一角がバー街になっていて多くの女性が働いています。

フィリピンで風俗関係で働く女性は、日本の場合とはちょっと違っていて、自分の遊ぶお金欲しさではなく、家族の生活費や兄弟の教育費を捻出するために地方から出てきて出稼ぎで働く人がほとんどなんです。

どんな感じかを例えたら、もしも1ヶ月の稼ぎが10万円あったとしたら、多くの女性たちの仕送り金額は大体7-8万円ぐらい仕送りします。

そんなに仕送りしたら、生活していけるの?って聞くと普通に「無理!しんどい。だから一人で暮らさずみんなでシェアールームして家賃も食費も割り勘でやるの。それでもお客さんのチップがないと本当に苦しい」って言われます・

よく日本人のいわゆるクソジジイが「フィリピンパブのお姉ちゃん、すぐチップくれってうるさいねん。ほんまガメツイ」とかいう人がいるんですが、自分の贅沢ではなく今日の学費に使っているのをしっているのかなぁ?そのために風俗関連で働かざるを得なかったんだけどねぇ

以前、風俗店で働いている女性と話す機会があってその時20歳の彼女が「こんなお店で働くのは私だけでいい。妹や弟はちゃんと学校行ってちゃんと働いてほしい」って言っていました。

こんなことを20歳の7人兄弟の長女に言われると、同じ日本人としてやっまり恥ずかしくて申し訳ない。

風俗で働くのは職業の自由だから悪いこととは思わないけど、バックボーンの違いを理解しないといけないと思うんです。

何事も表面的なことで知った気になって決めつけるのは、浅はかだと反省した次第です。

 

竹原浩二

38歳の時サラリーマンを辞めセブ島でボランティアと旅行会社勤務経験🌈 現在、フィリピン観光省大阪での勤務🇵🇭経験を生かして、留学案内を大学や旅行会社で講演もしたりします👨🏻‍💻 自分の息子は不登校でしたが、今はプロゲーマを目指してます❗️ 私はフィリピンで子供を元気にする留学ビジネスをゆっくりやり始めてました

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


TOP