家族

セブと日本を通じて見る、両親のこと、自分のこと、子供のこと

きっと今が人生で最後の大きな岐路を進んでいるじゃないかと感じています。

本当に毎日色々なことが起きていて、お構いなしにストレスなことと嬉しいことが変わるがわるに起きていると感じます。おかげで中々ブログまで手が回らないんです(完全に言い訳、、、苦笑)

今日は、そんな時に感じていることを書き留めたくて。徒然と書いています。

項目として

セブで見た年老いた暮らしと日本の介護、両親のこと
人の縁に感謝する、自分のこと
未来を築く、子供のこと

の3つになります。

内容的には重く感じるかもですが、皆さんのヒントになるよう面白い事例からか投げてみたいです。

セブで見た年老いた暮らしと日本の介護、両親のこと

去年はまるで100年に1度のような厄年でした。(そんなに長生きしませんが)

9月に父の腎臓が悪くなり、父を病院に連れて行った母と父は2人ともコロナにかかってしまいました。

共にワクチン接種していたので重症にはならず、すぐに病状は回復したのですが、父が腎臓は状態が悪いとわかり入院することになり、母はその入院費など金銭的なことや将来の事などが気になりコロナ中にずっと考え込んでいたようです。

元々心配性で物事を悪く考えてしまう傾向だった母は、父の入院直前に15年前に発症した「パニック性の鬱」が再発してしまい、「もうだめだ」を連発して大騒ぎするようになったのです。

父の入院後は、私が母を心療クリニックに通院させていたのですが、強い薬で病状を抑えようとしたため足元がふらつき外で転倒してしまい近くの救急病院へ緊急搬送、骨折の疑いがあるとそのまま入院しました。

病院は、看護婦不足と母が多動で「行動をサポートしきれない」という理由で、ベッドに拘束されてしまい、「もう囚人のように見えるけどどうなの?」って感じでした。

幸い骨折ではなかったのですが、父の看病と重なるので結局1週間以上入院させてしまいました。あぁこれが今の日本の老人医療の現実なのだと打ちのめされた感じでした。

その後父は4ヶ月の入院を経て、退院したものの週3回、毎回4時間弱の透析が日課となり、母はようやく退院したのですが不安が治らず、退院したばかりで透析もある父では母の鬱に対応しきれないので、救急病院から退院したばかりの母は、すぐに別の病院の精神科に入院することになりました。

幸い精神科の病院は対応も良くて、病状は悪いなりに安定した闘病生活を送っています。

そんな中で今回娘の誕生日で、家族一緒にセブに行ったのでした。
セブでは嫁の高校生の時にお世話になった恩師の自宅に3日間ほど泊めてもらいました。

私たちが泊めてもらう時に、恩師のお父さんが80歳の誕生日だったので、親戚一同が集まりお祝いをして私たちも家族同様にそのお祝いに参加させてもらいました。
親戚は皆んな近くに住み、お父さんお母さんを尊敬しながら支えているのです。

日本では年老いて2人だけで色々と生活を切り盛りしなければならず、病気になった途端今までの暮らしが破綻してしまった自分の親と、セブ島で子供たちが集まり自宅で年老いた生活をスローな感じで暮らすフィリピンの夫婦にすごいギャップを感じました。

老後の暮らしの中で幸せなことってなんなんだろう???
これ今毎日考えています。

人の縁に感謝する、自分のこと

また、自分のことを考えると今回のセブ家族旅行で、人の縁に感謝することの大切さを思い知らされました。

私たちが滞在した嫁の恩師の家について本当に感銘を受けたからです。
「人の縁と優しさを大切にする文化」を身をもって経験できたことは本当に良かったです。

今から書く話は一見「本当にそんなことあるの?」という感じかもしれないですね?

実は嫁は高校時代に家庭の問題があって家族と上手くいかず、荒れかけた時期があったのでした。
その時、新卒で年齢も近くまるで妹のように面倒を見てくれたのが、今回お世話になった恩師の女性です。

当時はセブ島から2時間ほどはなれた恩師の実家に、嫁が家族と諍いがあるとわざわざ連れて行ってくれて、食事や身の回りのサポートを恩師の家族が本当の家族のようにしてくれたそうです。
その時から今まで実に25年に渡り、恩師とそのご両親、兄弟が嫁のことを本当の家族のように接してくれています。

実際フィリピンでは、養子縁組で血のつながりのない子供の面倒を見る人も割りといます。

私が働いていた旅行会社のフィリピン人ガイドも結婚していないのに子供が欲しいからと施設から引き取り自分の子として育てていました。
ちなみにカトリックでは、子供は神様からの授かり物であり、皆で愛を濯ぐ存在だと教えています。

私が4日遅れでセブ島に着くと、次の日にお父さんは自腹で車を借りて、私がマンゴー好きだと聞くと親戚の家に寄って家にあるマンゴーの木からたくさん摘み取った後で、僕の顔面麻痺が少しでも良くなるようにと、遠くの教会に親戚一同で一緒に行ってくれました。
そして僕のために、全員がお祈りをしてくれたのです。
帰りには聖水で幹部を洗うと良くなるからと、持たせてくれもしました。

もう僕も家族として扱われているのです。
ちなみに今回ご両親や多くの親戚とは初めて会ったばかりなのに。
(もちろん恩師からは私たち夫婦のことは色々と話は聞いていると思いますが)

これが、今でも思い出すと心が暖かくなる出来事です。
結局自分が一番求めているのは、こんな世界(人間関係)なのだと改めて気がつきました。

未来を築く、子供のこと

そして、今回の主役である娘は「今までで一番楽しんだ」と言うぐらい満足そうでした。

もちろん自分が主役だし、時間もお金もかけて企画したことだから、親としてはちょっとホッとしていますが、私が感じたような温かい心の触れ合いを娘も感じてくれているようでした。

息子に関しても普段オンラインゲームばかりやっていて英語もあまりわからないのに、楽しめるのだろうか?と思っていました。

言葉がわからず、お姉ちゃんに通訳してもらうから笑いのタイミングがズレてしまい、空回り状態でしたが(笑)でも、そこはさすがフィリピン人のホスピタリティで、うまく息子を楽しませてくれて、最後は「お姉ちゃんのように今度は自分が主役で楽しみたい」と言ったのです。

2年後英語も勉強して帰ってきたい!

つまり卒業旅行はセブ島!ということでしょうか!

そして、今回子供の能力で気がついたことがあります。
それは2人の子供は、私たちを含めて接する人の態度や言葉の端々から、その本心を見抜いているようでした。
恩師の親戚と実の親戚であまりにも心に届く暖かさが違ったので、言葉では普通に話したつもりでしたが、後で話を聞くと私の気持ちを察していて、言い当てられました。

それは本当に意外で、「こんなに鋭く人の心を感じる力が2人にはあるのだ」とある意味、感心したのでした。

それは自身にとって未来を築くために大切な能力だと思います。

今回の家族旅行は当初金銭的な面から最初私は大反対をしていて、家族と何度も言い合いになりました。

でも今は「お金は無くして本当に大変だけど、行って良かった」と心から言えそうで満足しています。

竹原浩二

38歳の時サラリーマンを辞めセブ島でボランティアと旅行会社勤務経験🌈 現在、フィリピン観光省大阪での勤務🇵🇭経験を生かして、留学案内を大学や旅行会社で講演もしたりします👨🏻‍💻 自分の息子は不登校でしたが、今はプロゲーマを目指してます❗️ 私はフィリピンで子供を元気にする留学ビジネスをゆっくりやり始めてました

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